「日本に追いつける」という幻想

雑想録

10年頑張れば、日本に追いつける

韓国で生まれ育った人なら誰もが学校で、家で「後○○年頑張れば、日本に追いつける」という言葉を聞いたはずだ。その「○○年」という時間は人によって違った。ある先生は「10年」と言ってたし、ある教授は「20年」と言っていた。平均でいうと「10~20年あれば・・・」という認識だった。

 

<果たして追いつけることはできるだろうか>

 

私はその話を小学生の時からほぼ毎年聞きながら育った。それは少年たちにとって一つの目標であり、であった。日本は韓国の「目標」だったのだ。それは同時に韓国社会が「今は日本に10~20年遅れている」ということを認めていたことを意味することでもある。

 

しかし、そこには大きな問題があった。私が見る、聞く「日本」というのはTV、新聞、先生によってインプットされた情報であって、自分の目で、手で、足で確かめた日本はどこにも無かったのだ。それじゃどうやったら追いつけるか、日本はどういう点が優れているか知るすべも無い。相手の長所を知らないのにどうやって追いつけるのか。でも当時はそれに疑問を抱くこともなく、漠然としたイメージとして「いずれ追いつける」という感覚だけがあった。まるで「いずれ救世主が現れる」みたいな。

 

近いように見えた「日本との格差」

1999年、初めて日本に来た時、日本の印象はそんなに衝撃を受けるようなものではなかった。もちろん韓国より街はきれいになっていて、建物も、車もきれい。マナーもよかった。韓国より進んでるのは間違いないが、衝撃を受けるほどではない。これだと10年くらい韓国が頑張れば同じレベルまで成長するのではないかと思ったのだ。

 

その後、私は日本で学生時代には飲食店でバイト、卒業後には会社を働き、田舎の町内会では班長も経験した。来日してから10年くらいが経ったある日、私は電車内で「日本に追いつける」ために必要な時間の話をふと思い出した。その時自分でも驚いたのは、その時間が以前より遠く、長く感じられたことだった。

来日当時考えた「10年」では到底無理だな・・・
では20年は?    いや、それも難しい。
では100年?  うーむ、わからない。


正直今になっては追いつけることができるか、どうかにも確信がない。遠くから眺めた日本、旅行者として体験した日本ではなく、実際生活者として体験した日本を知るようになったからだろうか。それとも数字的な判断力が鈍くなってきたせいだろうか。正直分からない。一つだけいえるのは、昔感じた「10年」という時間差から、その時間は1秒も縮んでないことだ。

 



先日、文在寅大統領が「日本に追いつく」という発言をした。それを見た私は「いいな」と思った。まだ夢があって、明るく見える未来があっていいな・・・という意味だ。私は失ってしまった、無くしてしまった「少年時代の夢」を彼はまだ固く、強く心の中に大事に持っているのだ。童心はいいものだ。


<感動した映画>

 

(終わり)

 

 

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